足利義晴(よしはる)

 

足利義晴って、かわいそうな将軍…。

頑張ってもなかなか報われないんです。

 

落ちぶれた幕府の権威を取り戻そうとそりゃ、一生懸命でしたよ。

 

金欠幕府の財政を立て直したり、議会の運営を工夫したり、外交だって上手でした。

もちろん、結果もちゃーんと出しています。

 

だけど、幕府の仲間割れや派閥争いの嵐に巻き込まれてせっかくの苦労も水の泡。

 

戦もことごとく負けるし…残念。

 

そして、最大の敵が弟の足利義維(よしつな)とはまた切ない。

今回はそんなちょっと不憫な将軍「足利義晴」について紹介します。

 

 

 

足利義晴 (あしかがよしはる) プロフィール

 

職業 

室町12代目将軍。

10歳の時に就任しました。

前の将軍(足利義稙)が家臣と仲間割れして逃げ出してしまったので、その代りに連れて来られた。

(年齢的には、武田信玄の10歳位年上。ちなみに。)

 

父親

11代目の将軍、足利義澄(よしずみ)。

弱っちいお飾り将軍でした。

 

母親

日野阿子

京都の名門「日野家」の人。

セレブ系です。

 

功績

【財政再建】

当時の室町幕府はお金があまりありませんでした。

 

そこで、将軍義晴は自分の名前の「晴」の一文字をいろんな大名や武士に与えるというサービスを行いました。有料で。

 

すると、これが意外とヒットして売れたんです。

おかげで、がっぽり儲かりましたよ。

 

例えば、武田『晴信』とか伊達『晴宗』とか島津『晴久』とか、、、結構、売れましたね。

 

【議会の改善】

今までは管領家の意見に振り回されてたのですが、側近達の意見も議会に反映してやると将軍の意見も少しは通り易くなりました。

 

微増ながら将軍の権力アップ。

よかった、、、

 

【外交戦略】

筆まめな義晴は「将軍御内書」という手紙をまわりの大名や武将達に頻繁に送ります。

これにより諸候との関係性を築けたので崩壊スレスレだった将軍の権威をなんとか保つ事ができました。

 

支持者がいないと家臣にナメられて、将軍クビになりますからね。

大事なことです。

 

 

性格

かなり根性ありますよ、義晴は。

病気で死にそうな時だって、戦に出かけてますから。

 

戦はよくやりました

負けてばかりでしたけれど。。。

 

 

子供

義晴の息子達の中に「足利義輝」(13代)と「足利義昭」(15代)がいます。

後に、それぞれ将軍の座に就きます。

 

なかなか優秀です。

義輝は剣豪将軍として知られ、義昭は信長を何度も追い詰めた手腕を持ちます。

 

 

 

まとめ

 

若くして将軍職についた足利義晴。

将軍の権力を完全に取り戻すことは出来ませんでしたが幕府の運営にはそれなりに力を示しました。

財政を立て直し、戦にも果敢に挑みます。

 

そして、息子達も将軍の座を継いでいきました。

もう少し世の中が安定していた時代だったら、

義晴はもっと活躍の機会に恵まれていたかも知れません。

 

知名度は息子たちの方が上ですね…。