宮本武蔵といえば佐々木小次郎との対決が有名ですね。
今回は、この二人が巌流島で戦った理由について書いてみます。
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どうして武蔵と小次郎は戦ったのか?
武蔵と小次郎が戦った理由それは…「日本一の剣豪」を決めるため!です。
当時、日本一の剣豪といえば小倉藩で剣術の先生をしていた「佐々木小次郎」だと言われていました。
※小次郎の実在は諸説あります
ところで、日本一って辛いんです。
それは、チャンピオンを名乗るからにはその強さを証明するために、挑戦者から申し込まれた試合を断る事が出来ないです。
逃げて回ってたら、日本一じゃないですものね。
そして、そんなチャンピオンの小次郎に武蔵が決闘を申し込みます。
勝った方が日本一。
それを、巌流島で決めようじゃないかという話。
じゃぁ、なんで武蔵は小次郎に勝って日本一になりたかったのか?
と言うと、武蔵は…就職をしたかった!からなんですね。
武蔵って剣術は強いんですけど、ずーっとプータロー生活だったのです。
働く気持はちゃんとあったのですが、就職口がなくて困っていました。
武蔵は「剣術だは」強かったので、この特技を生かして武将としてどこかの大名に雇ってもらいたかったのです。
しかし、世の中がどんどん平和な時代になってしまうと、戦もやらなくなってしまう…。
すると、剣豪の出番もやって来ない。
すなわち、失業。
もちろん、関ヶ原の合戦にも出たんですが、西軍に入ってしまったので、その後が続かない…。
戦に負けて大将(宇喜多氏)は島流しを食らっていますから、仕官先は倒産。
ガックリ。
ならば、いろんな剣豪と試合して勝って有名になろう。
そしたら、どこかの大名が拾ってくれるかも…と考える武蔵。
で、いろんな人と戦いましたよ。
宍戸典膳とか、吉岡道場の人などと。
だけど「ウチの藩においでよ」と全然誘って貰えない。
誰も声をかけてくれないんんです。
(時代の流れだから仕方がないんですけど…、)
勝っても勝っても全然スカウトされない武蔵。
(業界内では、有名になって来ましたが)
そこで、行きついた先が佐々木小次郎。
日本一の剣豪です。
小次郎に勝てば、嫌でも自分の名前が広まり
きっと仕官の道が開けて来るだろう。
そこで、巌流島で決闘です。
もう、これより上の試合は無い。
せっかくの大勝負です。
試合の勝ち負けを誰の目にも明らかにするためにも、立会人を交えての公式の試合にしました。
これで勝てば正真正銘の日本一です。
そして、いざ巌流島へ!
命がけの決闘は、武蔵の就活問題をめぐる戦いなのでした。
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小次郎には勝ったけれど…
それで、勝ちましたよ武蔵は。
だって強いんだもん。
でも、な~んか空しい。
勝ったら、逆に寂しくなっちゃった。
小次郎に勝ったら、他にやる事も無ないし…。
しかも、日本一になるぐらいまで剣術を磨きまくった男が、就職先の一つも見つからないなんて、だ~れも声を掛けてくれないなんて、、それって空しい。
もし、小次郎に勝っても仕官先がなかったら、それこそ武蔵は日本一就職できない人間になってしまう。
俺って、そんなにダメな人間か?
小次郎に勝ったが故に、そんな事実を突きつけられたら…もう、究極に情けない。
何のために、命をかけて修行して来たんだ?
俺の人生って何なんだ…?
しかも、日本一を証明されたからには、次の日本一を目指した剣豪が挑んで来るに違いない。
そうすれば、いつかオレも小次郎の様に殺されるかも知れない。
それって、ちょっと怖いんですけど…。
小次郎を倒した武蔵ですが、日本一の一寸先は人生の崖っぷちだった悟ります。
そして、勝利の勝ち名乗りを受けるまでもなく、巌流島から逃げるように去っていきました。
小次郎に勝ってしまった武蔵。
一応、日本一の剣豪武蔵なんです。
だけど「ウチの藩に来てくれませんか?」と誘ってくれる人は…いませんでした!
ああ、どん底確定。
もう世の中も、自分も、何もかも信じられない。
もの凄い、自己嫌悪…。
自らの孤独を薄々感じながら、それを拭い去るためにも、剣術修行に打ち込んで来たけれど…行き着く所まで極めたら、最悪の事実が浮き彫りになってしまった!
その後の武蔵
巌流島の後、武蔵は失意のどん底で、当てどもない自分探しの旅に出ます。
その間、大阪の陣に参戦したり、他所の武芸者の挑戦を受けたりなど、剣を振るうこともありましたが…新たな人生の活路を見出すことは、出来ませんでした。
そんな日々を続けること10年。
ついに キタ――(゚∀゚)――!!
仕官のお誘いが!!
徳川御三家の一つ、尾張藩から「ウチの剣術の先生をやってくれませんか?」
と声がかかったのです。
超ウレシイ武蔵。
「やっぱ、オレの事を待ってた人がいるじゃないか!」
武蔵は、徳川義直の御前で剣術の腕前を披露します。
尾張の家臣を相手にして。
そりゃ、もちろん見事な腕前ですよ。
日本一ですから。
そして、武蔵の剣術を見分した徳川義直は言いました。
「宮本さん、申し訳ないけど仕官の話は、無かった事にしてもらえませんか?
あなたの剣術は、悪魔のようです。
そんなの教えてもらっても、ウチの家臣じゃ誰一人マネ出来ませんから…」
ガーン!ショックの武蔵。
武士は強ければ良いと、信じていた事が改めて否定されます。
やっぱ、俺ダメなんだ。
間違いなく不必要な人間。
立ち直れないよ…。
「オレの人生って一体何なんだ…?」
そして、武蔵は再び放浪の旅に出ました。
後に、武蔵は見事な水墨画を描いたり、五輪の書を著したりなど人間らしい心を取り戻していきます。
でも、そんなのずーっと後の話で、武蔵は人生のほとんどを失意のどん底で過ごしています。
なんか、英雄っていうよりスーパー苦労人の武蔵。
(五輪の書についても書きたいのですが、長くなるといけないので、また今度にしますね)
武蔵は晩年、熊本藩の藩主・細川忠利に客分として招かれ、安らいだ生活を送っています。
でも、これだって細川忠利が剣術マニアであるからこそ、なんですね。
武蔵を「剣術系珍獣」として、一匹飼っている様なのもです。
忸怩たる思いがあったでしょう。
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