信長が松永久秀を家康に紹介する時こう言いました。
「このジイさんは、普通の人ではできない事を3つやったんです。
①主君のである三好氏を滅ぼした。②将軍を殺した。③大仏殿を焼いた。…相当悪い人なんですよ」と。
世間的に松永久秀といえば「悪人」と相場が決まっていますね。
でも、悪い事をするには実はそれなりの理由があったんです。
(それでも、物騒な人には変わりませんが…)
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三好氏を滅ぼす
三好氏は、室町時代の末期には管領家の細川氏を追い出して幕府の実権を握ります。
そして「天下人」と呼ばれるほどの勢力を誇りました。
(昔は近畿から四国辺りを以て『天下』としていました)
当時、三好氏の主君は三好長慶。
松永久秀は長慶に重用され京都や堺の街で代官として活躍します。
ところが、それでは飽き足らない久秀。
もっとガツンと下克上したい…
そこで三好一族にデマを流したり、毒殺を仕掛けるなどして長慶の家族をバラバラにします。
(この頃の武家は兄弟や子供が一番の家臣でしたので、これをやられるとアウトなのです)
こうして久秀は主君を撃墜し、三好家を乗っ取るに至りました。
「まったく秀久は悪いヤツだ。散々世話になった長慶を食いものにしやがって…」
と言いたいところなんですが、本当の所はどうなんでしょう?
ストーリーとしては、その方がサスペンスみたいで面白いのですが…
実際は、ここまで派手な事はしていないようです。
毒殺を食らったとされる長慶や兄弟たちは、本当は病死や落馬で亡くなっています。
(もしかしたら、毒ぐらい盛っているかも知れませんが…死んではいません)
それどころか、久秀はむしろ三好家への忠節を最後まで忘れなかったと言います。
(意外ですね…)
長慶亡き後も、久秀は三好義継(力を失った後の三好の主君)によく仕えていますし…。
ただ、傍目には久秀が三好を乗っ取ったように見える。
そこで「犯人は久秀だ!」みたいに取られてしまうんですね。
(下剋上したい気持ちはあったでしょうけど…)
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将軍、足利義輝を暗殺
三好家は主君長慶を失った後、松永久秀と三好人衆(三好の重臣)が家中を仕切ります。
そして、ここでも久秀はとんでもない事を企みます。
それは、13代将軍足利義輝を暗殺して足利義栄(よしひで)を担ごうというもの。
義輝はちゃんとした武将なので、久秀が思う様に担がれてくれません。
落ちぶれた将軍家の権力再興を目指す実力派将軍。
(当たり前ですよね…)
でも、久秀にとってはそんな義輝がウザかったんです。
ならば、亡き者にしてしまえ…と言う事で、三好三人衆を利用します。
そして、こんな風にそそのかしました。
「義輝将軍は三好家を潰そうとしている。ならば、義継様を守って逆に将軍を討とう」
口車に乗る三人…。
こうして、三好・松永軍は京都二条の将軍御所に攻め入りました。
義輝は剣豪将軍と呼ばれた猛将です。
もちろん、それなりには抵抗しました。
しかし、三好と松永の連合軍の数に押されついに討ち死に至ります。
またしても、久秀による非情な謀略…。
とは言うものの、一方では久秀は将軍の暗殺には反対していたと言う説もあります。
(えっ、そうなの?)
暗殺計画の中心を担っていたのは、むしろ三好三人衆であったと…。
義輝は幕府の権力を取り戻すために、三好や松永の勢力を奪おうとしている。
その情報が久秀の耳に入り、これを三好に伝えた。
久秀としても、このまま放っておけば将軍に捻り潰されてしまう。
ならば、三人衆たちと挙兵して対抗するのも一つの手段ではないか?
確かに、久秀は足利義輝を追い詰めはしました。
しかし、これを以て暗殺者の黒幕とするのはちょっと…人聞きが悪いかもね。
大仏殿に火を着けろ
霊験あらたかな東大寺の大仏殿に火を着ける。
それこそ、罰当たりの最高峰ですね。
こんな暴挙をやらかした久秀は人間のクズ?なのでしょうか…。
足利義輝を倒した三好三人衆と松永久秀。
天下の権力は再び彼らのものになりました。
そして、新たな将軍には「めっちゃ弱い将軍、足利義栄(よしひで)」を担ぎ出します。
(弱っちくて、自分達の言う事を聞いてくれた方がやりやすいですから)
ところが今度は、義栄の争奪件をめぐって久秀と三人衆が仲間割れを起こしました。
そして、京都では両者の戦が勃発。
東大寺の近くに陣を構えた三好軍に対し、久秀は大仏殿に放火して意表をを突きます。
これに動揺した三好軍は久秀軍の急襲に耐え兼ね、京都から撤退。
久秀は戦には勝ちましたが、手段を択ばぬ戦法に人間性を疑いたくなります…。
しかし、東大寺の炎上は戦の成り行きで出火したという説もあるんです。
もし戦の勢いの中で火が着いてしまったのなら、火災の責任は五分五分ですよね?
久秀が無関係って事はないですけど、半分ぐらいは許してやりたくなります。
さらには、直接大仏殿に放火したのは三好の方だとする意見もあります。
それぞれの軍が陣取った場所を考えると、久秀軍が大仏殿に着火するにはちょっと難しい。
だからと言って、久秀が無実である証拠もありませんが…。
平蜘蛛の茶釜を抱いて爆死 クレイジー?
1577年、信長は石山本願寺との戦いに苦戦していました。
そしてさらに、武田氏と上杉氏が参加した信長包囲網が敷かれピンチのどん底状態。
すると久秀は薄情にも、信長を裏切り反旗を翻しました。
時流に乗って、信長を踏み台にしようとしたのです。
この知らせを聞いた信長は使いの者をよこし、久秀に真意を確かめます。
しかし回答は「ノーコメント」。
ふざけんな、バカ野郎!
そういう態度が一番腹立つんだよ、文句があるならはっきり言えっ…!
信長は、信貴山城に立て籠る久秀に嫡男信忠の軍隊をブチ当てて落城させます。
またしても信長を裏切った久秀。
今度こそは命の保証はありません。
しかし…「平蜘蛛の茶釜を渡せば、大目に見るみてやる」との事。
(信長も茶器マニアですから)
ところが久秀は「信長の言う事など聞くもんかっ」と
火薬を仕込こんだ茶釜を抱え、久秀もろとも爆破!
頭がオカシイのか?
なんだか無茶苦茶な感じがしますが、これにも異説があります。
そもそも、平蜘蛛の茶釜は信貴山で落城する前に人手に渡っていたとか、
久秀は爆死では無く、戦で射ち死したとか…。
戦国武将のドラマって大げさに伝わっているので、どこまで本当か良く分らないですね。
久秀=爆死というイメージはすっかり定着しちゃってますが…。
まとめ
戦国時代のダークヒーローとして知られる松永久秀。
暗殺、爆死、裏切り、大仏殿の放火。
これだけハチャメチャな武将も珍しいのです。
しかし、史実を追って行くとかなり大げさに話が盛られていることに気づきます。
ただ、茶釜と心中する伝説があるくらいの人なので、茶器の目利きである事は本当っぽいです。