正室、側室、継室とは武家や公家の奥様を表す言葉。
では、その違いとは・・・?
そんなに難しい事じゃないですよ。
「ああ、やっぱりそういう事なのね…」って位のものです。
皆さん何となく分かっていると思いますが、一応改めて説明しておきますね。
では、始めま~す。。
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正室
正室(せいしつ)とは、大名とか、公家など身分の高いお家の本妻の事です。
戦国時代では奥さんを何人も貰っていて、その中で一番重要な人が正室と言うワケです。
例えば織田信長なら「濃姫」。
豊臣秀吉なら「ねね」。
徳川家康なら「築山殿」が正室だと言う事になります。
また、家を継がせる時は正室の産んだ子供(男子)が優先されます。
だた、そういう事は、日ごろから旦那さんが明言しておかないと、後でトラブルの元になったりします。
当時の正室には、同盟関係を示すための人質みたいな人も多く、現代の奥さんとは若干イメージが違うかも知れません。
豊臣秀吉みたいに「ねねちゃんLOVE♡」って感じの恋愛結婚は少なかった様です。
正室と言うと、優雅な社長夫人みたいなイメージがあるかも知れませんね。
でも、戦国時代の正室は、お殿様がいない時は城主の代理を務めたり、外交を担当したり、家臣の愚痴を聞いたり、忙しいかったようです。
小姓上がりの家臣にとっては、正室は彼らのお母さんみたいなものですしね。
江戸時代に入るともう少し、楽になったそうですが…
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側室
側室(そくしつ)とは正室以外の奥さんの事。
正室よりは格が落ちるので、区別して側室と呼びます。
他呼び方として、妾(めかけ)、側女(そばめ)、手懸(てかけ)とも言います。
織田信長の側室は「よし乃」、「お鍋の方」…などいろいろ。
豊臣秀吉の側室は「淀殿」、「南の局」…など多数。
徳川家康の側室は「養珠院」、「西郷局」…など(ちょっとマニアックですね・・)。
側室の仕事は、子供をたくさん産んでお家を絶やさない事が重要とされていました。
正室に子供が出来ないとか、使い物にならない時は側室の子供が後を継ぐことがあります。
例えば、武田信玄の後を継いだ武田勝頼は、側室(諏訪御料人)の子供ですね。
側室にも子供がいない時は養子を入れたりしますが、たいがい家族内でケンカになります。
それだったら、側室の子供でもいた方がよっぽどマシです。
ちなみに、秀吉の子供を産んだ淀殿は側室でしたが、正室の「ねね」に子供がいなかったので、かなりデカいツラしてました。
「ねね」の周りには、若い頃から面倒をみていた家臣たちが寄り集まっていましたが、やっぱ血筋を残した者には敵わなくて、秀吉が死ぬと淀殿のステイタスがガツンと上がります。
継室
継室(けいしつ)とは、正室が死別や離婚した後に貰った奥さんの事。
正室の後釜に来る人なので、身分の高い女性とか政略的に結婚する事が多いです。
徳川家康は正室の築山殿を亡くしてから、豊臣秀吉の妹「旭」を継室にもらいます。
これは思いっきり政略結婚です。
秀吉は家康を自分の下に置くために、自分の妹を無理やり嫁として押し付けました。
この時、家康は44歳で、旭は43歳。
微妙な感じのカップル…?
でも、家康は旭の死後に手厚く弔っているので、ボチボチ大事にしてくれた事でしょう。
(築山殿より待遇が良いかも?)
まとめ
正室⇒大名や公家の本妻
側室⇒ランキング2位以下の奥さん
継室⇒正室がいなくなった後にもらった後妻