今回は織田信長の関する、よくある質問のQ&Aを集めてみました。
「信長が天下統一したらどうなった?」
「なんで『うつけ者』ってよばれたの?」
「信長の身長は何センチ?」
「どんな性格だったの?」などなど。
改めて「信長ってどんな人だっけ?」なーんて思った人には、打ってつけですよ。
どれも素朴な疑問だから、難しい話は一切なし。
気軽に楽しんで下さい。
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織田信長はどんな性格?
「泣かぬなら、殺してしまおうホトトギス」
信長の人物イメージって、こんな風に思っている人って多いと思います。
短気で、残虐で、血も涙もない、鬼の様な武将。
信長には、確かにそういう所があります。
敵将や裏切り者には容赦しないし、家臣の言う事は聞かないし、比叡山は焼き尽くす。
竹中半兵衛は死ぬ間際、秀吉にこう言い残しました。
「信長様の気性の荒さは、死んでも治りません。それだけは、気を付けてくださいね…」
でも、これは戦国大名として戦に打ち込んでいる時の話で、普段からホトトギスを殺しまくっていたワケじゃ無さそうです。
戦がなけりゃ、女性には優しいし、身分低い人にもフレンドリーだし、好奇心の旺盛。
秀吉とねねが夫婦ケンカした時は、ねねさんの味方になって、励ましのお便りをくれたり…
女装をして、みんなの前で踊ったり…
安土城が完成した時は、街の人々を城内に案内したり…など。
蹴鞠や鷹狩を、友人と楽しむ事もありました。
仕事中は冷血な鬼のような信長でしたが、プライベートは意外と普通のおっさんだったかも。
これ以外に、きれい好きとか、几帳面とか、ストイックな所も信長の性格を表しています。
少し、神経質な人かな?
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信長はなぜ「うつけ者」と呼ばれたのか?
信長が若い頃は、家臣や街の人々に「うつけ者」と呼ばれていました。
うつけ者=空っぽのヤツ=パッパラパーのバカタレと言う意味。
パジャマみたいな恰好で外をほっつき歩き、ガラの悪そうな連中と徒党を組んで、奇抜な髪型にして喜んでいる。
今的に言うと、行儀の悪いヤンキーグループがコンビニでたむろして、センスの無いファッションして異様な雰囲気を漂わしている…みたいな感じ。
これでは、確かにバカっぽい。
世間から「うつけ者」と呼ばれても仕方がないです。
お父さんの葬式に時には、位牌に焼香を投げつける…等、ワケの分かんない事もやってるし。
要するに、信長は根っから破天荒な性格…だと言う事なんですね。
それが、若い時分では、変な所ばかりが目立っていた。
だから、うつけ者。
ただ、信長は単なるうつけ者でない。
自分でも「バカやってるな」ってのは、自覚していました。
そして、見る目のある大人たちは「信長は変わってるヤツだけど、頭はいいし、根性もある」と見抜いていました。
美濃の斉藤道三、守役の平手政秀、父親の織田信秀…等々は、信長のバカみたいな格好や奇行を知りつつも、一目置いていました。
それに「うつけ者軍団」の仲間たちは、その後、新世代の織田家臣団を形成していきます。
(前田利家とか、丹羽長秀などなど)
信長の人並外れた能力や感性が、若い時代には「うつけ者」として見て取れたんですね。
ちなみに信長は、父信秀死んで家督を継いだ後もしばらくは、うつけ者状態でした。
これじゃ、周りからバカだと思われても、仕方ないですよね。
信長の青春時代。
天下布武ってどんな意味?
天下布武を宣言した織田信長。
これは、日本全国を信長の武力で制圧するって意味…じゃないです。
本当は、もうちょっと優しいメッセージなのでした。
とりあえず、天下とは…
信長が生きていた時代の天下とは、近畿地方の事を意味していました。
(現代人の感覚からすると、天下と言う割には…ちょっと狭い感じがしますね)
そして、布武。
「これは武を以て治める」って事です。
で、「武」とは7つの徳目という意味なんですね。
武力じゃなくて…
ざっくり言うと「戦や暴力を無くし、民衆を大切にして、豊かな社会をめざします」
みたいな感じ。
要するに、天下布武って「近畿地方に平和で幸せな社会を作ります」
的な意味でした。
ま、知ってる人は、とっくに知ってるでしょうけど…僕は勘違いして解釈してました(*’ω’*)
だって、信長が「天下布武」なんて言うと、大軍がドドーって押し寄せて来そうじゃないですか??
信長の身長は?
信長の身長は、160cmぐらいだそうです。
当時の平均的な身長です。
ちなみに体重は60kgぐらい。
中肉中背。
面白くないですね…普通過ぎて。
それじゃ、信長を離れて、違う武将の体形について。
徳川家康…身長155cm、ウェスト120cm。(スゴイ太ってます!)
斉藤龍興…身長197cm(デカ過ぎです)
淀殿…身長168cm(当時の女性でこの身長とは!)
徳川綱吉…身長124cm(ちっちゃい)
坂本龍馬の姉さん・乙女…身長175cm、体重110kg(竜馬より強い、マジで)
信長が一番苦労した戦は?
戦国最強と言われた武田軍を破った織田の軍勢は…無敵の軍団?
いや、そんなコトないです。
実際はけっこう、いろんな所で負けてます。
そんな、信長の戦歴の中で一番苦労したのは「石山合戦」だとされています。
石山本願寺vs織田信長。
この戦は、1570年~1580年にかけて10年間も続きました。
京都に上洛した信長は、近畿地方での勢力拡大を目指すのですが、そこで最大の焦点が石山本願寺との対決。
本願寺が落ちたら、近畿は信長のもの。
だから、攻める信長は必死です。
ところが逆に、近畿を支配されたら諸大名が困るんです。
近畿は日本の要所なんで、ここを抑えられたら、織田が飛躍的に強くなってしまう。
だから、本願寺の事をみんなで応援するんですね。
足利義昭とか、毛利とか、村上水軍とか、雑賀衆とか…
織田が本願寺を包囲しても、敵の水軍が川からバンバン支援物資を運んで来る。
だから、それを妨害しようとしたら…逆に返り討ちに遭ってボコボコに。
まったく、苦労しましたよ。
それが、本願寺と戦った石山合戦。
信長の功績とは?
信長の最大功績は、天下統一の土台を作った事ですね。
この辺はみなさん、ご存知の通りだと思います。
鉄砲の導入とか、兵農分離とか、楽市楽座とか、政教分離とかいろいろやってますが、それもそれも、天下統一を目指したからこその功績。
で、実際に統一に向かって、10歩も20歩も前進しました。
これこそが、信長の生きた証。
では、何で天下を統一したかったのか?
それは、戦の無い、平和な世の中を作りたかったからなんですね。
敵がいなけりゃ、戦は起こらない。
だから、全国制覇。
しかし、これは信長オリジナルのアイデアでは無く、お父さんの信秀から受け継いだもの。
ただ、信長の場合は、天下の果てを中国、さらにはインドぐらいまで想定していました。
(とんでもない人ですね…)
普通の人だったら、天下統一の土台を作っただけでも、満足度10000%だと思いますが…信長の場合は、まだまだ序の口のようです。
天下統一ぐらいで「信長ってスゲーなー」
なんて言ってたら、織田家の重臣にはなれません?
そして秀吉は、信長の志を継いで大陸に乗り込んでいます。
あれは、秀吉の頭が途中でアホなったからじゃなくて、昔からそのつもりだった様です。
楽市楽座って?
織田信長が行った経済政策「楽市楽座」。
社会科の授業で習いましたが、僕は半分ぐらい忘れてました。
で、調べ直したところでは…
楽市楽座とは、商売を活性化するための規制緩和…です。
街中には、油屋とか、米屋とか、服屋とか…色んな商売屋さんがいます。
でも、商売をするためには商業組合に入って、お金を支払って、資格をを取って…みたいな事をしなきゃいけない。
だから、新しい業者が参入して、勝手に商売を始める事が出来ませんでした。
そこで、何が起こったか?
新しい業者が入って来ないと…
→ライバルが出現しない
→ライバルがいないと、努力しなくても商品が売れる
→努力しなくても売れるので、値上げする
→また、放って置いてもお客さんが来るので、サービスが低下する
→そんな店に行きたくないから、お客さんは買い物をする気が失せる
→お客さんにやる気がないから、お金を使いたがらない
→お金を使ってくれないと、経済が停滞する
こりゃ、マズいですよね。
そこで、信長は商業組合の縛りを緩くして、新しい業者が参入できるようにしました。
新規業者が入って来ると、古いお店も「こりゃ、俺たちの負けちゃいけない」
となり、サービスを良くしたり、値段を下げたりします。
すると、お客さんは喜んで、買い物するのが楽しくなる。
買い物が楽しいと、ついついお財布のヒモが緩んで→経済活性化!
戦国大名は、武芸や兵法だけじゃ強くなれません。
お金が無いと、武器とか、兵糧など買えません。
その他、武功を立てた武将には、ボーナスを支給しないといけませんからね。
で、そのお金を徴収したくても、町場の経済が不景気だと根本的にムリ。
無理やりかき集めると、支持率が下がって一揆が起こります。
一揆が起こると、鎮圧しなきゃいけない。
すると、軍力を一揆に取られ…国防がおろそかになって…他国の大名に狙われる。
これじゃ、戦国大名失格です。
そこで、楽市楽座を発動しました。
「やっぱお金は必要だ」って。
ただ、何でもかんでも緩めちゃうと…商業組合から嫌われたり、過当競争になったり、商売のモラルが低下するので、緩め加減が難しい所。
(今の時代のそうでうが…)
でも、信長が安土城下で行った楽市楽座計画は、上手く行きました。
そこで、諸大名がこれに倣って、全国に楽市楽座が広まりました…と言うワケです。
第六天魔王の意味
第六天魔王とは、仏教と敵対する、欲望にまみれた魔王のこと。
信長は第六天魔王と呼ばれ…いや、自ら名乗っていました。
「アイアム第六天魔王!我こそは、仏教徒の敵である」と。
しかし、これにはちょっとした事情があるんです。
それは…
信長が浅井・朝倉軍と戦ていたら、劣勢になった浅井・朝倉軍が比叡山に逃げ込んだ。
すると…
→比叡山はお寺なので、攻め込めない
→しかし、それでは浅井・朝倉の味方と同じなので、「せめて中立で…」と信長は頼む
→比叡山はこれを断ったので、信長は焼き討ちを断行
→比叡山の坊さんは、武田信玄の所へ逃げる。
→すると、信玄から「お坊さんに、乱暴なことをしちゃダメですよ」的な手紙が来る。
で、ここからが本番。
例の信玄から来た手紙には「天台座主沙門信玄」という署名があったんです。
信玄は仏教ファンなので、仏教的な名前を名乗って手紙をよこして来ました。
でも、信長から見たら延暦寺の坊さんたちは、坊さんじゃない。
「仏教のことは詳しいかも知れないけど、あいつらウラじゃ酒のんだり、女性とラブラブしたり、肉食ったり、サラ金みたいな商売やってりしてるじゃないか。
それでいて、都合が悪くなると坊さんヅラしやがって…どっちかにしろよ!」
と、言いたい。
そして、信玄からの手紙が舞い込んで来た。
「ほほう『天台座主沙門信玄』と、来ましたか…
この度のテーマは仏教ですから、それっぽい名前で登場したわけですね(エラソーに…)
ならば、わたしも仏教バージョンでお応えしましょう」
と言うワケで、信長は署名に「第六天魔王」と、記し信玄に対抗しました。
「あいつらが坊さんつもりなら、さしずめ俺は第六天魔王って所だな!
仏教者を迫害する、悪魔みたいなものだからね…我ながら、ナイスネーミング」
かくして『信長・第六天魔王』が誕生しました。
信長は、お釈迦様やキリスト様がダメだって、言ってんじゃないんです。
むしろ、ちゃんと保護したいぐらい。
でも…
「敵軍がやって来たら、誰が戦ってくれるんですか?
ご飯は、誰が食べさせてくれるんですか?
寒い冬を裸で過ごしたら、風邪ひいちゃいますよね?
俺は、市民生活の向上に為に戦ってるんであって、これを邪魔するヤツの方がむしろ悪魔」
という、思いもありました。
「お坊さんたちの役割はもちろん尊いよ、でも延暦寺のアレは無いよな~」
ちなみに、信長以前の第六天魔王の武将は…
平将門、足利尊氏、足利義教、細川政元、などなど。
そうそうたるメンバーですね。
なぜ足利義昭と対立したのか?
織田信長と仲良く一緒に、京都に乗り込んだ足利義昭。
ところが、間もなく…信長と義昭は敵対関係となります。
なんで?
あんなに仲良かったのに…。
これは、室町幕府を再興したい義昭と…
室町時代を終わらせて新しい世の中を作りたい信長との考えの違いと、言われています。
根本的に違いますから、合うワケないです。
ただ、京都に行くまでの目標は同じだったので、そこまでは上手くいってました。
義昭が次期将軍としての名乗りをあげて、信長がそれをサポートために一緒に上洛。
要するに「お神輿将軍」義昭さま。
これに気づいた義昭は、信長を失脚させようと、諸大名に呼び掛けて色んな策略を巡らせます。
「信長包囲網」ってヤツです…打倒信長!
これにて、二人の決裂は決定的になりました。
あと、性格の不一致も対立の原因だと思います。
信長は「甘ったれたお坊ちゃんみたいな人」は嫌いだし。
ま、お坊ちゃんはお坊ちゃんで、根性見せるんです。
信長包囲網などで…。
でもそれは、嫉妬や恨みがパワーになっているので、信長みたいに使命感で戦ってる人には通用しませんでした。
「是非に及ばず…」とは?
本能寺の変で、明智光秀に急襲された時に信長が発した言葉。
「是非に及ばず」
意味わかんないです。
なんじゃそれ?
「是非に及ばず」とは一般的に「仕方ない」という意味だそうです。
是(=よしとする)も、非(=ダメだとする)も、及ばず(追及しない)。
つまり、良いも悪いも考えない→現状を認める→仕方がない、となります。
光秀が襲ってこようが、誰であろうが、攻め込まれたのは事実。
今はこれを、認める他にない…是非を議論してる場合じゃない、と言う意味なんでしょう。
少なくとも「信じられん」「そんなコトない」「うそだろ」「なぜだ~?」
みたいな未練がましいとこは、言っていません。
ただこれって、説によっては二通りの解釈があるんです。
①「ああ敵が攻めて来た~、グダグダ言っても仕方がない、負けた!」
②「敵が攻めて来たぞ~、グダグダ言わずに戦闘態勢につけ~」
本当の意味は、信長に聞いてみないと分かりませんね。
意外と「オレ、そんなこと言ったっけ?」
だったりして…。
信長が天下統一していたら?
信長が天下統一していたら、その後どうなった?・・・そんなもん、誰にもわかりませんよ。
わからなけど、面白そうだから人気のある質問です。
そこで、よく見かける回答を紹介します。
①海外に進出していた
当時の明(中国)は、国力が落ちていたので、これに目を付けた信長は、大陸に乗り込んでいっただろう…そして、世界地図を塗り替えて行ったに違いない!と、する大胆説。
②いきなり明治維新
信長は天皇を尊重していたので、天皇親政が始まる。
江戸時代をやらないで、いきなり明治時代に突入。
③ふつうに江戸時代が始まる
徳川の政策は、織田の政策のパクリである。
だから、家康が天下取ろうが、信長だろうがやる事はほぼ一緒。
徳川家が織田家になるだけの話。
④鎖国をしないので、国際色豊かな国になった
信長は西洋文化が好きだったので、海外との交易が盛んに行われただろう。
…などなど。
いろんな妄想するのも楽しいです。
信長の奥さんはどんな人?
信長の奥さんは、ご存知の「濃姫」。
斉藤道三の娘さんです。
濃姫は信長のドラマで、見た事ある人も多いと思います。
本能寺の変で、薙刀を持って戦ってるシーンとか…。
濃姫はマムシ道三の娘で、信長の奥さんですから、絶対タダ者じゃない気がしますよね?
きっと「極道の妻たち」みたいな女性に違いない!
女傑タイプですよ、きっと…。
斉藤道三は、嫁入り直前の濃姫に言いました。
「おい娘!もしも、だんなの信長がアホだったら、この刀で『グサッ』とやって来い…」
「フフッ、下手したらお父さんに『グサッ』かもよ?」
「OK!よく言った。それでこそ、武家の女だ!」
ホンマかいな?
こんな嫁さんだったら、武勇伝を山のように量産した事でしょう。
ところが、濃姫に関する歴史資料ってめっちゃ少ない。
側室の記録ほ方が、よっぽど多い。
子供もいないし。
死んでるのか、生きているのかも不明。
幽霊部員のよう。
資料が無いんで、なんとも言いようが無いのですが…
死んじゃった説もあれば、離婚説もあるし、不仲説もあり。
あるのは、ウワサばかり。
せめて、行方不明になりました、、病気で寝てます、、別居中です、、なんて記録があればいいのですが、それすら無し。
濃姫は、信長の奥さんにかかわらず「謎だらけ」と言うのが特徴です。