豊臣秀吉が「サル」と呼ばれた2つの理由とは?顔がサルだから!?

豊臣秀吉11中部の武将

豊臣秀吉の愛称が「サル」って事は、日本人なら誰でも知っています。

でも、何でサル?

 

豊臣秀吉11

 

その理由の半分は「顔がサルっぽいから」なんですけど…

念のため調べてみたら、これにはもう少し深いワケがあったようです。

 

ちなみに…秀吉がサル顔だって事は、もはや決定的。

宣教師も朝鮮人も自分も?みんなで「サル」呼ばわりしてますので。

 

それじゃ、今日は秀吉がサルと呼ばれたお話をお送りしますね。

 

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秀吉が「サル」と呼ばれた理由

顔がサル

ある日、秀吉は御伽衆の曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)に、こう呟きました。

「オレ、自分の顔嫌いなんだよ。サルに似ているから…」

 

秀吉 サル11

 

すると新左衛門は、うまく切り返します。

「秀吉様がサルに似てるんじゃなくて、サルが秀吉様のマネをしているんですよ」

 

なかなか面白いことを言いますね。

 

秀吉の顔がサル並みって言うんじゃなくて、サルが頑張って秀吉に近づこうとしている。

これなら聞いてる方も、何となく気持ちが明るくなる。

 

でも、それって自分から見ても、他人から見てもサル顔確定!ってことですよね?

 

さらに「秀吉サル顔論」は、キリスト教の宣教師や朝鮮から来た使者たちの間でも同意見。

なるほど、世界基準でも通用するサル顔。

 

ここまでみんなに言われちゃ、サルを否定する方が無理。

よって、秀吉のニックネームは「サル」に決定!

 

と、行きたい所ですが…もうちょっと話を続けます。

 

生まれがサル

ところで、秀吉の親友である前田利家の愛称は「お犬」。

豊臣の重臣である加藤清正は「」。

 

これは、利家や清正が犬とか虎っぽかったから、そう呼ばれたのでは無いんですね。

 

11清正 虎

 

前田利家は、天文7年の戌年生まれなので「犬」。

で、加藤清正は寅年生まれだから「虎」。

 

昔の人は、男の子を生まれ年の干支で呼ぶ習慣があったので、顔に関係なく犬だったり虎だったりしたんですね。

そして秀吉の場合は・・・ご想像の通りの「申年」でした。(天文5年)

 

12秀吉サル

 

こりゃもう、どっからどうみても「サル」です。

見た目も、生まれも、世間の風習もみんなで秀吉の事をサルと呼んでいる…

 

だから、100年経っても、1000年経っても秀吉はサルなんです?

 

ちなみに秀吉は、サル以外にも「ハゲネズミ」なんて呼ばれ方もしていましたが、こちらは「サル」ほど有名じゃないですよね。

でも…もしも秀吉が「子年生まれ」だったから、ハゲネズミのほうが広まっていたかも知れない。

 

ネズミ的なヴィジュアルで、生まれ年もネズミ。

裏も表もネズミだから、文句の付けようがない。

と、思うんですけど…

 

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おまけ・秀吉の出自

話が秀吉の生まれ年に及んだついでに、出自いついても書いてみます。

簡単にですけど、、

 

足軽の息子

一般に秀吉の父母は、は大政所である「なか」で、は尾張国の足軽「木下弥右衛門」とされています。

 

(ちなみに、弟の「秀長」と妹の「朝日」は、弥右衛門の友達「竹阿弥」が父親。弥右衛門は死んじゃったので)

 

ただこれは、土屋知貞の『対抗素生記』に描かれていること。

一つの考えに過ぎません。

 

秀吉の出自には、他にもいくつかの説があります。

 

例えば、竹中半兵衛の息子で、竹中重門(しげかど)が書いた『豊鑑』(とよかがみ)という秀吉の一代記では…

「父の名前は分からない」と、あります。

 

重門はず~っと秀吉に仕え、オヤジさんの代から知っているのに、基本的なことがわかってないんですね。

もしかしたら、本当に謎なのかも?

 

そんな気もします。

 

実は高貴な産まれ?

あと、天皇の御落胤説

これ胡散臭いんですか、ちょっと聞いてください。

 

むかし、萩中納言という偉い人が仕事でヘマをして、尾張に左遷されてきました。

そして、地元女性との間に女の子が生まれます。

 

この娘が、後に大政所になる「なか」であります。

つまり、秀吉の母さん。

 

秀吉 母11

 

で、「なか」さんは娘時分に宮中へ仕えます。

 

すると、天皇が「なか」さんにちょっかいを出し、ご懐妊。

その後「なか」さんは、尾張に帰って来て男の子を産み…それが秀吉だという話。

 

めっちゃウソっぽいです。

萩中納言って人が誰なのかワカンナイし、秀吉の母さんが宮中に仕えた記録もないし…

 

でもでも、当秀吉が生きていた当時では御落胤説の方が、公に通用していた様子。

 

また現代でも、こちらの説を支持する人も時々います。

ディープな歴史マニアの人たちなど。

(僕はついて行けませんが、本当だったらヤバいですね)

 

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