子供の頃の信玄は、聡明な秀才児であったことは広く知られています。
ただ、今回ご紹介するエピソードは信玄が単なる秀才ではなく、戦国武将としての器の広さを感じさせるお話です。
難しい話じゃないですから、サクッと読んで楽しんでください。
スポンサーリンク
3千の兵を2万に見せるには?
貝殻の山
信玄には、2歳年上の姉さんが居ました。
定恵院(じょうけいいん)と呼ばれで、後に今川義元のところへ嫁いで行った人です。
そんなある日、信玄のお母さんの所に蛤の貝殻が届きます。
今川へ嫁に行った姉さんが、送って来たんですね。
「母さん、蛤の貝殻を送るから『貝おい』をして遊んでね」っていう意味で。
昔の人は『貝おい』と言って、バラバラにした2枚貝をペアで一致させる、、というゲームを楽しんでいました。
トランプの神経衰弱みたいな遊びです。
ところが、姉さんの送って来た貝の量が…むちゃくちゃ多い。
軽トラに山盛りで積んだ位の量。
これでは『貝おい』になりません。
数が多すぎて、ペアになる貝がいつまでも見つかりませんから。
そこで信玄の母さん(大井の方)は、信玄に言いました。
「ねぇ、晴信(この時はまだ、信玄になっていません)。
あんた、この貝殻を小姓さんたちと一緒に選別しといてくれる?
大きくて形の良いヤツを『貝おい』に使うから…」
で、みんなでせっせと仕分けして、形と大きさが良い物を母さんに渡しました。
しかし、もともとの数が多いですから、少しぐらい差し引いても大量の貝殻が残っている。
だいたい、畳2畳に山盛りにしたぐらい。
そして、信玄はその貝をどうしたか?
捨てた?
NO!一つづつ数を数えたんです。
ふと「この貝殻は、全部で何個あるんだろう?」と思ったので。
そしてまた、みんなで作業するんです。
「いちま~い、にま~い、さんま~い…」と。
ところで皆さんは、この山盛りの貝殻が全部でいくつあると思いますか?
ちょっと、想像してみてください・・・
少なくとも、100個や200個じゃないですよね?
3千の兵を2万に見せる
ちなみに、信玄も武田家の武将たちに聞いて回ったそうです。
全部で何個あると思うか?って。
すると武将たちは、当てずっぽうで「1万個!」「2万個?」なんて答えるんです。
(いきなり、そんな事きかれたって分からないですよね…)
で…正解は、3700個。
このことで信玄は、はたと閃きました。
「人間の目なんて、アテになるもんじゃない。でも、これって戦に応用できるかも?」
つまり、3700の兵でも気づかれなければ、1万とか2万と言っても相手にバレない。
特に戦場では、敵兵の数は多く見えるもの。
だから、戦況によっては5倍位の兵力を吹聴したら、敵陣もかなりビビるかも?
そこで信玄は「この心理をうまく利用してやれば、戦を有利に運べるだろう」
と考えました。
どんな武将でも、兵力の数で劣るとみんな「ちょっとヤバいな…」
と思うのもです。
そして、その肝心な数は肉眼で把握できるものじゃないし、また間違った情報を鵜呑みにしてしまうこともある。
「ならば、その逆を突いてやれば、戦略が優位に進むのではないか?」
信玄は、そんな風に考えます。
一目で視界に入る貝殻の山でさえ数が分からないなら、見渡す限りの軍勢が押し寄せてきたら頭は余計に混乱するだろう…
こちらが3千の兵でも「2万人で攻め来むぞ」と言ったら、相手は騙されるかもしれない。
戦場での心理戦とは非常に重要なもので、これに負けると指揮系統は乱れるし、軍団としてパワーはガクンと落ちます。
歴史上の戦で奇跡の逆転とか、小が大を負かす戦いが度々ありますが、これは敵軍の盲点を突いているから。
そして信玄は、そんな人間の盲点の在り様を、貝殻の山を通して感じ取ったのでした。
信虎オヤジとは思考回路が違う信玄
ちなみに少年期の信玄は、父信虎からあまり信用されていませんでした。
頭はいいかも知れないが、弱そうで覇気がなくて「ダメ長男」だと思われていた様子。
武闘派オヤジには、秀才の信玄が弱々しいモヤシっ子に見えます。
「こんな文学青年、使い物にならん。弟の信繁の方がよっぽど強くて武将向き」
ってな感じで、家督は弟に継がせようと考えていたくらい。
しかし、それは信虎の思い違いで、信玄の心中にはしっかりと武将意識を持っていました。
ただ、信玄はスマートな知性派武将だったので、信虎とは違うキャラクター。
その辺がオヤジさんには分からなくて、後に追放の憂き目に遭います。
信虎だったら、余った貝殻の数なんて絶対に数えないと思います。
また「これ全部でいくつある?」と聞かれたら、速攻で「2万!」と答えたでしょう?
信虎オヤジの前に貝の山をいくら積んでも、たぶんそれはゴミの山…