豊臣秀吉は「人たらし」の異名を取るぐらいですから、とにかく人望が厚い。
マジメで、義理堅くて、気持ちが明るい。
そんな人だったら、誰からも好かれますよね?
ところが…そんな秀吉を最後まで寄せ付けない武将たちがいました。
柴田勝家、佐々成政、佐久間盛政・・・そうそうたる顔ぶれです。
では、なぜ彼らは秀吉を嫌ったか?
人の好みは十人十色なんで、一概に言えない無いんですが「たぶん、これかな?」って思える理由が一つだけあるんです。
何だと思いますか?(*’▽’)
それはですねぇ…
(以下、本文につづく)
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秀吉を嫌いな武将
秀吉を嫌いな武将って言うと、まず思い浮かぶのは柴田勝家じゃないでしょうか?
上杉家との戦いでは秀吉と仲違いし、賤ヶ岳の戦いでは秀吉に敗れ切腹しています。
勝家は男の中の男で人望も厚く、決しておかしな人じゃ無いんです。
でも、秀吉には心を開かず仲が悪いまま。
逆に、秀吉は勝家みたいな人は好きなハズなんですが、イマイチ上手く行かない…
これと似たパターンで、佐久間盛政が秀吉に反感をもっています。
盛政は勝家の甥にあたる武将で、賤ヶ岳の戦いで生け捕りにされました。
この時、盛政は秀吉に「仲間になれ」って散々誘われたのですが、全然なびかない。
「あんたの手下になるくらいなら、死んだ方がマシ」ぐらいの勢いでしたから。
そして、実際に処刑されてしまいました。
あと、佐々成政も秀吉が嫌いです。
成政は秀吉をどうしても討ちたくて、わざわざ死ぬほど寒い雪山を超えて家康に訴えます。
「今こそ、秀吉をやっつけよう」って。
結果的には、家康には却下されちゃいましたが、それでも秀吉嫌いの虫は収まりません。
ものすごい執念です。
ところが…当の秀吉は勝家も、盛政も、成政も好きなんです。
柴田の「柴」は羽柴の「柴」だし、盛政には戦の後にラブコールを送っているし、成政が刃向かって来ても、秀吉はその後も重く用いています。
ちょっと、面白いですね。
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なぜ嫌いなのか?
勝家たちが秀吉を嫌った理由…それは、信長が嫌いだったから。
柴田勝頼や佐々成政みたいなタイプは頭の中がいつまでも室町時代で、信長みたな革新的な人間にはついていけなかった。
「何で、わざわざ九州や北海道まで征服しなきゃいけないの?
人んちのことなんか、放っておけよ。
それなのに、キツイ労働させられて…ワケ分かんねーよ」
みたいな感じで思っていました。
べつに仕事が嫌いなワケじゃないんですが…ただ、信長の考えていることが理解できない。
信長がまだ京都あたりで暴れている時は良かったんですが、謙信と対決する当たりから戦う意味がわからん。
そこまでやる必要あるのかよ…って。
そして、本能寺の変で信長が倒れると、信長イズムを継承した秀吉が台頭してきます。
信長の時はプレッシャーが強すぎて本音を出せなかったのが、秀吉の代になるともう少し意見が言いやすくなりました。
そして、それがはっきり形を持って現れたのが、賤ヶ岳の戦いです。
全国平定を目指し、さらには海外まで手を伸ばそうとしている人と、見える範囲で戦をして国を治めようとしている人では、必然的に考え方のギャップが生じますよね。
そこで、彼らからしたら「まったくついて行けないぜ、バカバカしい」なのです。
確かに、現実的な考えとしては、勝家や成政の方がマトモだと思いませんか?
ですからそれを論拠として、秀吉に反抗するのは筋が通っています。
だから、秀吉のことを嫌いっていうか、普通の正義を貫いた結果として秀吉とバトルするに至った…とも考えられます。
それにしても、まさか全国制覇するとは・・・
歴史を結果から見れば、勝家みたいな人は時代遅れの石頭みたいに感じますが、当時の人だったらむしろ秀吉の方がぶっ飛んでるように思えたでしょう。
理解できない人に対して違和感を感じるのは、人間として当然の反応です。
信長とか秀吉みたいな人は、万人に理解されなくても仕方がないと思います。
人より、ずーっと先を行っていますから。
時代の流れは秀吉
秀吉に逆らった人は、ほとんど処刑されたり、切腹したりで悲しい最期を迎えています。
でも本当は、勝家も成政も盛政もみんな良い人なんです。
男っぽくて、一本筋の通ったカッコいい武将。
秀吉も、それをちゃんと認めています。
しかし、時代の流れが彼らの共存をゆるしませんでした。
秀吉と反目した武将は、戦国時代の激流に飲まれていきます。
それぞれの胸にそれぞれの正義があって、これを貫いたからこそ互いの葛藤が生まれました。
そして、互いに武士だからこそ戦い…あとは、運命の歯車が秀吉を上へ上へと押し上げます。
これが時代の流れというもの。
秀吉は勝家や成政に嫌われたからこそ、時代の寵児として新時代を切り開きました。
室町時代を粉々にぶち壊して、日本の時代を変えていった。
それが、秀吉や信長の役割だったのです。
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