武田二十四武将とは江戸時代に描かれた「武田二十四将図」

に登場する武田の武将たちのこと。

 

今回はそんな二十四将の人気ランキングを発表します。

(ネットでの検索の多い順です。手作業で調べました。)

 

さて、お目当ての武将は何位に入っているでしょうか?

 

各武将にはそれぞれ簡単な説明も添えてあります。

もし、今まで知らなかった武将に興味を持ってもらえたら冥利に尽きます。

では、始めますよ~。

 

※目次をクリックすればお好きな武将に飛べます

一位はやっぱり、お館様でした

 

24人もいると下から順に発表してると、じれったいですから1位からいっちゃいますね。

 

第1位 武田信玄(たけだしんげん)

今さら、説明しなくてもいいですよね。

戦国のカリスマ、武田信玄です。

趣味は囲碁。(かなり強いです)

大河ドラマで真田幸隆と勝負していたシーンを思い出します…。

 

第2位 山本勘助(やまもとかんすけ)

勘助も大河ドラマの主人公となり人気がガツンと上がりました。

川中島の戦いでは、勘助が「必殺啄木鳥戦法」繰り出すと上杉は「トルネード車懸りの陣」で応戦します。※諸説あり

熾烈な戦いでした。

 

第3位 真田昌幸(さなだまさゆき)

真田幸隆の三男です。

三男坊なので一度養子に出されますが、兄さんが死んでしまったので真田に帰って跡を継ぎました。

表裏比興の謀将。

 

第4位 武田勝頼(たけだかつより)

信玄の四男で後継ぎを任されます。

本当は優秀な武将なんですが、勝頼の代で武田家は終了

ゆえに、ちょっとイメージ的に悪く取られがちで可哀そう。

信長も「勝頼のヤツ、手強いなぁ~」と褒めて(?)ました。

 

第5位 山県正景(やまがたまさかげ)

武田家のエース武将

赤備え」の戦闘コスチュームが超カッコいい。

井伊直政の「赤備え」は正に山県昌景に見習ったもの。

内政や外交術も◎。

 

第6位 高坂昌信(こうさかまさのぶ)

昌信は第4次川中島の戦い(一番熾烈なやつ)で活躍しました。

武田四天王の一人。

武田領の北方(上杉との接点)の抑え役を長年任されていた。

 

第7位 穴山梅雪(あなやまばいせつ)

裏切り者の梅雪。

信玄の従兄弟なんですけど、徳川と裏で繋がっていたおかげで武田家が潰れる切っ掛けを作ってしまった。

どうしようもない武将です。

 

第8位 馬場信春(ばばのぶはる)

不死身の鬼美濃」馬場信春。

長篠の戦いで討ち死するまでは、戦場で一度も負傷しなかったという伝説の持ち主。

武田四天王の一人。

 

第9位 秋山信友(あきやまのぶとも)

1567年に武田と織田は一度同盟を結んでいます。

そしてこの同盟の実現させるのに頑張ってくれたのが秋山信友でした。

武田の猛牛」と言われた武将です。

 

第10位 小山田信茂(おやまだしげのぶ)

武田家臣の重鎮

勇猛な武将で文学のセンスもありました。

信玄の従兄弟です。

 

第11位 内藤昌豊(ないとうまさとよ)

武田四天王の一人。

っていうか、武田家のナンバー2です。

このくらい偉くなると、頑張って当たり前なので武功を立てても信玄から「ありがとう」の言葉も無い。

ツーカーの仲なので、いちいち細かいこと言われないんです。

 

第12位  真田信綱  (さなだのぶつな)      

  真田家の長男で後継ぎだったのですが、長篠の合戦で射ち死。

勇猛な武将で信玄からも期待されていたのに、残念。

弟の昌幸も「兄ちゃん、めっちゃ強え~」と憧れていました。

 

第13位 武田 信廉(たけだのぶかど)

信玄の

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兄、信玄に激似だったので影武者を務めました。

本当に激似だったらしい。

絵がプロ級にうまくて、地元のお寺では今でも信廉の作品が残っています。

 

第14位 原虎胤(はらとらたね)

城攻めのスペシャリスト。

信玄の父さん、信虎の時代から仕えていました。

武田家臣団の中では珍しく、信虎と仲の良かった武将。

 

第15位 土屋昌次(つちやまさつぐ)

最初は信玄の側近をやっていましたが、

のちに侍大将となり戦場でも活躍します。

元側近らしく、内政面のお仕事もバリバリこなしていました。

 

第16位 曽根昌世(そねまさただ)

昌世も側近上がりの侍大将。

真田昌幸と共に駿河攻めでは活躍しつつも…徳川に通じていたという疑いもアリ。

 

第17位 真田昌輝(さなだまさてる)

真田幸隆の次男

兄さんの信綱と共に頑張っていましたが、長篠の合戦で討ち死。

真田ブラザースの名前覚えてますか?

長男 → 信綱

次男 → 昌輝

三男 → 昌幸ですよ。 (ときどきゴッチャになる…)

 

第18位 原昌胤(はらまさたね)

父、虎胤の次男

長篠の合戦で討ち死。

昌胤は「陣馬奉行」と言って、戦場の事前チェックをする係を担当していました。

 

第19位 多田満頼(ただみつより)     ※以下、計測不能のため同位とします

信虎の時代から活躍していた武将。

得意技は夜襲です。

大変勇猛で、妖怪をやっつけたと言う伝説を持っている。

妖怪がいたのですね…。

 

小幡虎盛(おはらとらもり)

よく身のほどを知れ」と言う遺言を残したのが有名。

知名度は低めだけど、武功の実績はかなりハイレベル。

信虎の時代から仕えていた武将です。

 

横田高松(よこたたかとし)

たかとし」です。「たかまつ」じゃ無いんです。

戦では先手を打って勝っていくパターンが得意でした。

瞬時に敵の動きが読めたそうです。

砥石城の戦いで討ち死。

 

小幡信貞(おはたのぶさだ)

同じ小幡でも、虎盛の家系ではなくて群馬県からやって来た武将。

愛妻家

信玄に「武田に来たなら、今の奥さんと別れて武田家臣の子女を嫁さんにもらうように」

と言われたのですが「ウチのカミさんは帰る所がないので、それはできません」

ときっぱり断ります。

それを聞いた信玄は感心して、より一層信貞の事を信頼するようになりました。

 

甘利虎泰(あまりとらやす)

武田家臣のお偉いさん。

信虎の追放クーデターにも参加しました。

上田原の戦いでは信玄をかばって討ち死。

 

三枝守友(さえぐさもりとも)

最初は信玄の側近をしていましたが、後に武将としてデビュー。

三方ヶ原の戦いで大活躍。

山県昌景にメッチャ気に入られて、昌景の娘さんを嫁にもらいました。

 

 

 

家康は武田マニア

 

徳川家康が武田信玄の事をリスペクトしていたのは有名ですよね。

 

家康は信玄の事を尊敬していたのはもちろん、武田家が滅亡した後は、何人もの武田武将を雇い入れています。

(信長には武田系の武将を雇っちゃダメだと、言われてましたけど…)

 

しかも、自分の五男には「武田信吉」と名乗らせています。

 

そんな家康の影響が有るのか、無いのか分かりませんが…江戸の人達は武田好きが意外と多い。

 

甲陽軍鑑」や「甲州流軍楽学」がヒットして、「武田二十四将図」も人気のアイテムの一つでした。

江戸時代にも戦国マニアがいたんですねぇ。

 

 

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