「大将の務めは領地を見渡し、人を活かして戦に勝つこと。だからデカい城なんか要らない」

信玄は、常にそう語りました。

 

そして、城はショボくても領民や武士を大事にします。

 

ゴージャスな城に引きこもって、踏ん反りかえっているようじゃ戦国大名は失格です?

国の繁栄は、人の活力があってこそ。

 

今回は、信玄と家臣や領民との関わりについてお送りします。

 

「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」とは、どういう意味なのか…

エピソードを通してご紹介します。

 

ショボいお城の意味

武田信玄は、死ぬまで甲斐国にお城を築くことはありませんでした。

もちろん、住居はあります。

 

でも、信玄の家は小さく質素。

お堀も一応あるんですけど、狭くて浅いくて、しかも1本しかありません。

これじゃ、あんまり役に立たないよ…

 

そこで、武田の重臣たちは信玄に文句を言いました。

「我らが武田家が、こんなショボいお城でいいんですか?情けないです!

他所の大名は、こ~んなに立派な城を建てていますよ」

 

しかし、信玄は聞き入れません。

「いいのいいの、お城なんか…

国持大名がお城でぬくぬくして、国が盛んになった所なんかないでしょ?

戦国武将は戦に勝って、人を活かしてこその人生」

 

家臣達の気持ちも分かります。

築城がしっかりしていれば、敵の攻撃を弾き返すことも出来るので、いざって時は安心です。

確かに、一理あるんです。

 

でも、信玄には信玄の哲学があり、立派な城が無いからって何かデメリットが起こったワケでも無いんですよねぇ。

そして信玄の言葉は、後に実証される事となります。

最悪な形でもって。

 

信玄の跡をついだ武田勝頼は、韮崎に新府城を造りますが・・・

1582年、武田家は滅亡。

人望を欠いた勝頼から、家臣達が離れていった結果です。

 

勝頼には、城を頼りにする前に他にやる事があった。

人による城を築く、という事が・・・

 

 

人は石垣、人は城

信玄は武田の家督を相続すると、諏訪、信州、駿河へとガンガン攻め込んで行きました。

 

でも、新しい領地を家臣達に与える事はしません。

ケチだから??

 

そうじゃないですよね!

 

これと言うのは、ワケがあるんです。

武田家特有の知行システムが…

 

信玄は戦で勝って領地を広げると、家臣に広げた土地を与えるのではなく…甲州信州などの以前から武田が管理していた土地をあげました。

そういう場所は、ちゃんと土地が肥えていて作物も作りやすく、領民もキチンと生活している良い場所なんです。

 

いくら領土が広がったからって、痩せた土地なんかもらっても意味ないし、進出した地域の人々が武田に憎悪剥き出しだったら、メッチャ気まずいじゃないですか。

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貰う人の気持ちまで考えないと、せっかくの知行がお荷物になってしまいます。

だから、新しい土地は家臣には与えない…という理由があったのですね。

 

ここでも、やはり「人は石垣、人は城…」という思想が貫かれています。

国づくりの基本は、生身の人間。

これを無視したら、大名失格ですよ?

 

ちなみに、新しく広げた土地では、しばらくは武田が直営で責任を持って管理します。

各地に代官奉行を配置し、領民への年貢は安めに設定。

いきなり家臣に丸投げしては、いけないんですね。

 

土地の人々は、新しい領主が来るとたいがい文句ばっかり言います。

たとえ、暮らしぶりが変わらなくても…

 

だから、領民へのサービスを高めてクレームを減らし、武田との融和を計ります。

 

そして、新しい領民との信頼が構築できたら、初めて知行OKとする。

そんなシステムになっていました。

 

おかげで、信玄の代で広げた領地では、住民トラブルはほとんど無かったそうです。

 

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武田のプライド

信玄は新しい領民に対して、非常に気をつかって治めていたワケですが、それは武士に対しても同じ事。

 

ただ、中にはこんな話もありました。

 

ある日、武田四天王の一人山県昌景の所へ、北地ナントカって言う浪人が家来として入って来ました。

北地は正式に入社しているので、領地を貰います。

 

ところが、もらった領地がどうしようもなく荒れた土地で、全然収穫が上がらない。

 

これに困った北地は、山県昌景に「なんとかして下さい~」ってお願いします。

でも、昌景の取次人が「北地は、しょせん他所者さ…」として、完全無視。

 

すると、いよいよ切羽詰まった北地は、切腹を考える様になりました。

まわりの仲間たちは、当然止めるように説得します。

 

しかし「武士に二言はない」として、思い止まることはありません…

 

北地は、別れの挨拶代わりに、武士仲間へこのように説明したと言います。

「武田のブランド力は、この辺の国々じゃピカイチなんだ。

しかし、そんな武田だからこそ、かえって辞めた後のツブシが効かないんだよ。

世間じゃ『あんなに素晴らしい武田を辞めるヤツは、武士の恥』みたいに言われる。

だから、オレにはもう行き場が無い…」

 

その後、事の顛末を聞いた信玄は烈火のごとく怒り、昌景の取次人を厳しく処罰しました。

 

この件では、とても可哀そうな思いをした北地さんでありましたが…逆を返せば、武田はそれだけ優れた武家である、という事になります。

 

人がうらやむほど、武士を大切にした信玄。

城はショボくても、武士は満足。

 

やはり、ここでも「人は石垣、人は城」なのでした。

 

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