越前の名家として、100年間不動の地位を確立した朝倉家。
しかし、朝倉義景の代になると、一気に雲行きが怪しくなります。
戦乱の時代に乗じて、織田信長が荒れ狂った…というのもあるんですが、やっぱ義景がイマイチ頼りなくて、朝倉家は滅亡への道のりを辿ります。
決して悪い人じゃないんですけど、戦国時代を生き抜くにはもう少し気合が必要でした。
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朝倉義景
朝倉義景は越前国(福井県)に所領を持つ大名。
年は織田信長の一つ年上ですから、戦国時代のど真ん中を生きていました。
性格は平和主義で、戦よりも文化や芸術が好きです。
戦国の世界では珍しいタイプですね(少しはいますけど…足利義政とか)。
戦国武将って腕っぷしが強いとか、野心満々とか、軍事マニアみたいな人が多いですけれど、義景は穏やかな文科系人間。
しかも、優柔不断。
(特に、戦の時はやる事が遅い。敵が逃げてから追い討ちをかける等)
では、そんな性格で厳しい戦国の時代を生きていけるかって言うと…やっぱり、ダメでした。
(小谷城の戦いで敗れ1573年に朝倉家滅亡)
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上洛のチャンスを見逃した
義景は大名として、ビッグになっていくチャンスを見逃してもノホホンとしています。
(足利義昭がクーデターで逃げ込んで来た時に接待だけして政治利用しなかった、残念!)
平和な時代ならそれでも良いけれど、戦国の時代にそれやっちゃいけませんよね。
黙ってると、他の勢力の餌食になってしまう。
戦国武将なら、もっとガツガツ行かなきゃ。
織田家にかるーく倒される
そのためには、外敵に対抗できるだけの武力や外交力を持っていないと、ダメなんです。
でも、義景の頭の中は別の事を考えていました。
文化人なので…。
そして、朝倉家は滅亡していきます。
(小谷城の戦い1573年)
平和な時代ならそれでも良いけれど、戦国の時代にそれやっちゃいけませんよね。
黙ってると、他の勢力の餌食になってしまう。
自分はのんびりしてたくても、周りの敵がガンガン攻めて来る。
少なくとも、自分の事は自分で守らないといけません。
北陸の名所 小京都
朝倉家って、歴史のある銘家で(織田家なんかよりも各上の家系)過去には、めっちゃ強の武将がいたり(朝倉宗滴)、お隣の浅井家とも友好的だし、城下町は北陸の小京都と言われるぐらい素敵(文化人の中では有名)。
だから、潰すには勿体ないんですけど、義景にはそれを守ることが出来なかった。
以外と文武両道 でも、ちょっと違うんだなぁ
こう言うと、義景がダメ人間みたいに思えてしまいそですね…。
では、ちょっと良いこ事も書きましょうね。
義景は、、、
意外と、弓術の達人だった(意外とスポーツマンです)。
ひっ捕らえた泥棒を説教して改心させた。
一乗谷の街は小京都としては全国屈指のクオリティー。
文化、芸術について広く通じている(これは皆さん知ってますね)。
戦はへなちょこだったけど、少しはいいところもあります。
マニアックな人は「平和時であれば、義景は最高の名君」ともいいます。
だから、戦乱前の穏やかムードの国造りこそが義景の一番の手柄なのかな?
江戸時代にでも生まれて来ればよかったね…