織田四天王・誰?【勝家、長秀、光秀、一益】簡単説明!2分で完了

織田四天王とは織田家家臣の中で、特に大きな功績を残した4人の武将たち。

柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀。

みなさん良くご存知の面々ですね。

今回はこの4人について、超カンタンに説明します。

速攻でおわりますからね、サーっと呼んで下さい。

 

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柴田勝家

織田信長の重臣中の重臣。

宣教師・ルイスフロイス曰く「最も勇猛果敢な武将」

 

勝家は信長より一回り年上で、最初は信長の父さんの信秀に仕えていました。

その後信長に仕えますが、かつて織田家内で対立した事があって暫くは窓際族…。

しかし、六角義賢との苦しい戦い(長光寺城の戦い)で勝利したのを切っ掛けに信長の信頼を得ます。

 

勝家は、無骨な性格と戦場での強さから「鬼柴田」と恐れらました。

無骨っていうか…男らしい性格なんですね、男の中の男

 

戦においては、北陸方面の攻略を担当し越前、加賀、越中、能登を平定します。

一向宗はネチコチ攻めて来るわ、上杉謙信にはボロ負けするわでかなり苦労しました…。

 

そして、本能寺の変では…早く京都に駆け付けて信長の敵を取りたかったのですが、秀吉に先を越されてしまいます。

ちょうどその頃、上杉景勝と戦っていたので現場を離れる事が出来なかったんです。

 

これが、勝家の運命の分かれ道になりました。

清州会議では秀吉のいいように引っかき回されて、丸め込まれてしまいます。

(チックショー!)

 

その後、秀吉と勝家の葛藤は賤ケ岳の戦いに発展し、戦に敗れた勝家は自刃に至りました。

ただ、その負けっぷりは超男らしくて、潔くてメッチャかっこいい!

 

 

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丹羽長秀

長秀は信長の「うつけ者軍団」からの付き合い。

若い頃から一緒に戦って、遊んだ仲間。

 

長秀は非常に多才な武将で、戦の武功はもちろん内政も得意、しかも人望がある。

何でもこなせるオールマイティーな人でした。

 

それゆえ、誰よりも信長に重用され「米五郎左」と呼ばれます。

(お米の様に無くてはならない、という意味デス)

 

だた現代人からすると、勝家とか秀吉みたいな派手なイメージが無いですよね?

でも、1581年に行われた京都御馬揃え(天皇も見に来た軍事パレード)では一番手の入場に選ばれました。

これは、織田家臣団の中で長秀が一番信頼が厚い事を意味しています。

(仕事で馬揃えに出れなかった秀吉は、地団駄を踏んで悔しがったそうです…)

 

本能寺の変以降は、秀吉側に与し勝家の所領をガッポリ貰い123万石のウルトラ大名になります。

(秀吉の強引な政治手法には「ちょっとイヤだなぁ」って思ってましたが…)

 

 

明智光秀

光秀はもともと美濃国の武将で、室町幕府の奉行衆をやっていました。

その頃は全く無名の存在でしたが、信長との出会いから人生が変わって行きます。

 

当時尾張から京都に勢力を広げたがっていた信長に、足利義昭を引き合わせる。

この革命的な組み合わせが、戦国時代の流れを変える切っ掛けになりましたね。

 

最初は義昭に仕えていた光秀ですが、その後信長に乗り換えメキメキ頭角を現します。

 

戦が強くて、頭のいい光秀。

織田家臣団の中では新参者でしたが、近畿地域の司令官として大活躍します。

雑賀衆、松永秀久、波多野秀治、荒木村重…片っ端から蹴散らしてくれました。

 

さらに、高知の長宗我部との仲介役、巧な内政政策、領民への愛情…と八面六臂の活躍。

 

しかし、1582年の事。

皆さんご存知の本能寺の変で、光秀はブチ切れます。

 

その理由は未だ不明ですね…。

信長と光秀とは性格が真逆なので、それが切っ掛けかな?

 

まぁ、あの信長を地獄へ道連れにしたのですから、ある意味戦国最強の武将です?

 

 

滝川一益

滝川一益は、信長が尾張国で力を持ち始めた頃から従臣しています。

 

近江国出身の武将で、鉄砲の使いに慣れた忍者とも言われています。

真実はイマイチよく分からないのですが、軍事のスペシャリストなんでしょうね。

戦の強さは折り紙つきで、信長からは「先鋒は一益、殿も一益」と言わせるほど。

 

一益の活躍を世に知らしめたのは、1582年の甲州討伐です。

関東の脅威であった武田氏を追い詰め、天目山でついに武田勝頼を討ち取りました。

武田の領地は広大ですから、これは大手柄なんですね。

 

ところが、その直後に本能寺の変が勃発。

すると、このドサクサに紛れて北条が上野国に攻め込んで来やがる!

 

おかげで一益は清洲会議に出席出来ず、家臣団の中で落ちこぼれてしまいます。

会議の後は勝家派に入りますが…賤ケ岳の戦いでは負けてしまいますよね。

 

その後、一益の所領はぜ~んぶ没収となり、越前国で隠居の憂き目にあいます。

(秀吉も容赦ないですね…)

 

 

羽柴秀吉

秀吉は四天王じゃないですけど、それに匹敵するぐらいの重要家臣です。

でも、世間的に四天王と言われるのは勝家、長秀、光秀、一益の四人。

 

ただ、秀吉は後で天下取ってますし、そっちの方が名誉なんで四天王の方はちょっと我慢してもらいましょうね…。

 

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