武田四天王の一人である馬場信治。

「不死身の鬼美濃」と呼ばれた信春は70回もの戦に出陣しながら、かすり傷一つ負う事がなかった。

これは何を意味するかと言うと…信春は戦況を的確に判断し、無謀な戦はしない武将だということです。

もしも、勝頼が長篠の合戦で信春の意見を耳に入れていたら、戦に勝てずともあんなにボロクソにされる事も無かったでしょう。

そして、あの時の敗戦が…その後の武田家の運命を変えてしまった。

きっと、天国の信玄も残念がっていたでしょう。

「ああ、信春が側についていながら…あの負け方はないよ」って。

70戦無傷

馬場信春は武田家三代(信虎、信玄、勝頼)に仕え70戦以上もの戦に参戦。

 

70回の戦をすれば、もちろん勝つばかりでなく負ける事もありました。

だけど、信春は戦で傷を受けた事は一度もありません。

 

無傷の武将って他にもいると思いますが、馬場信春の様に、前線で戦っているのに傷を受けないと言うのは、理知的で冷静な武将であったからです。

先頭に立って「突撃~」って行かないタイプ。

 

信春は、決して臆病者では無いんです。

勇猛なんですけど、無茶をしない。

 

それが、信春の良い所。

 

川中島の戦い(4回戦)で、上杉軍を攻め悩んだ信玄は信春に意見を求めます。

「今回はどうやって攻めたら良いと思う?」

(作戦は失敗しましたが、この時信治は大太刀持ちを勤めます)

 

信玄と信春はしたたかに戦う戦略を知っていた武将なので、わりと気が合うんです。

必要以上に勝ちすぎない、負ける戦は早めにケリを付ける、勝てない戦は挑まない。

 

戦は勝ち負けだけが全てではなく、生き抜くための一つの手段…。

それが、武田軍の強さの秘訣でもありました。

(逆に、この辺が勝頼の足りないところ)

 

そして、信春が初めてを傷を負った戦が長篠の合戦であり…また、それが最期の合戦でもあったのです。

今まで、ずーっと無傷で来た武将が怪我をするっていうのは、それだけ大ピンチの無茶な戦だという事なんですね。

 

それで結局、武田軍は取り返しのつかないほどにボロボロに負けしまいました。

勝頼がもう少し素直に信春のアドバイスを聞いていれば、こんな事のはならなかったでしょう。

 

皮肉にも、70戦無傷の栄光は最悪の形で証明されてしまったのです。

 

最期の戦・長篠の戦

1575年

織田、徳川連合軍を向かえ討つ武田軍は長篠城を攻め落とした後、設楽ケ原に向かいました。

 

いよいよ武田 VS 織田・徳川連合軍の本戦が始まります。

武田軍12000の勢力に対し織田・徳川連合は38000

 

これは、兵力敵ににかなりの差がありますよね。

しかも、連合軍は大量の鉄砲を所持している。

さらに、馬防柵を張り巡らし、防御対策もバッチリ施してある。

 

これでは、さすがの武田軍も相当やりづらい。

 

もちろんまだ、負けたと決まったワケじゃ無いんです。

でも、これでは勝ったとしても大ダメージは免れないだろう…。

 

と、いう事で馬場信春は勝頼に持ちかけます。

「勝頼さん、今回だけは負けてやりましょう。こんなヤツらに無理して勝っても、我々武田もボロボロの傷だらけになってしまいますよ…」と。

 

そして、これは信春だけの考えではありませんでした。

山形昌景内藤昌秀も同意見。

(ベテラン経験者は「こりゃ、やめといた方がいい」と判断)

 

しかし、肝心の勝頼が聞く耳持たず。

「織田や徳川がナンボのモンじゃ!」と、跳ね返して来ます。

そう言われちゃあ、仕方が無い…。

(確かに、勝頼は戦が強いんです)

 

そして…「やりますよ、そりゃもちろん全力で戦いますけど…でも後の事は…勝頼さん、知りませんよ」

信春たち武田四天王は別れの杯を交わして、いざ出陣。

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(死ぬ覚悟を決めたんですね。ちなみに四天王の一人、高坂弾正は北信濃でお留守番)

 

そりゃ、四天王ですから攻撃しかけりゃ強いんです。

だけど、生身の人間ですから出来る仕事にも限度があります。

この兵力差は、武田軍であっても何ともし難い。

 

同じ勢力なら武田のほうがレベルは上ですが、連合軍の方が軍勢は多いし、鉄砲は沢山もっているし…。

局地戦で、小が大に挑むと言うのはアリですが…総力戦でこれをやっちゃうとダメージが大き過ぎて後始末が大変。

別に、無理して今すぐ勝負しなくていいのに…。

 

それでも、勝頼は「行け!」と言う。

そして、馬場信春も出撃しました…。

 

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捨て身の殿、馬場信春61才

次々と武田の部隊が出撃する中、信春隊の出番は5番目。

真田信綱・昌輝兄弟、土屋昌次の部隊を率いた信春は連合軍に突撃を開始します。

 

対戦する連合軍の部隊は、滝川一益・佐久間信盛率いる兵力6000の部隊。

(ちなみに、信春の部隊は750程度と言われています。思いっきりケタ違いですね…)

 

信春部隊は少ない勢力ながらも、果敢にに攻め込み滝川・佐久間隊を馬防柵の中に封じ込めます。

しかし、あと少しのところで滝川の鉄砲隊が、バンバン銃弾を浴びせてくる。

おかげで、もともと少ない兵力がさらに削られて、あと80人ぐらいしか生き残っていない。

(ちなみに、この時点でも信春は無傷。スゴイ!)

 

そして、周りの戦況を見渡せば、他の部隊も似た様な状況。

 

「こりゃ、ダメだ」

と判断した信春は、家臣たちに退却命令を出しました。

「逃げれるやつは、今のうちに早く逃げるんだー。後はオレに任せろー」

 

しかし…そんな信春を置きざりにして、退却する家臣などいないんです。

それにもう、引っ込みが付かない。

 

ならば、せめて勝頼の本隊だけでも生かして返そうと、信春は本陣に伝令を送りました。

「このままでは武田軍は全滅してしまいます。信春が殿を務めますから、早く逃げてください」と。

 

これを受けた勝頼は、ついに信春の言葉に従います。

(遅すぎますよね…)

 

この時、信春は「殿」と言いながらも、生きて帰ろうという考えはありませんでした。

この状況、そんな甘っちょろいもんじゃない。

 

無傷の武将は、敵軍の追撃を一秒でも遅らせようと、自らの身を盾としたのです。

 

生き残った信春の隊員は内藤昌豊の部隊と合体して、連合軍の砦の前で追撃を食い止めようと立ち塞がります。

 

しかし、それも時間の問題。

否だからこそ、その僅かなに賭けたのです。

信春が犠牲になっている間に、勝頼を逃がそうと…。

 

長篠の合戦は、馬場信春討ち死によって終結しました。

武田軍1万人、織田・徳川連合軍6千人の兵を失って。

(川中島合戦以上のズタボロの戦でした)

 

信春は、自分の命と引き換えに武田軍を殲滅から救ったわけですが、すこし後味が悪かでしょうね。

勝頼がもう少し物分かりが良ければ、こんな惨めな戦にはならなかったのに…

 

 

まとめ

戦の真髄を知る馬場信春は、信玄からの信頼も厚く長年に渡たって武田家の成長を支えてきました。

70戦無傷の英将は、信玄の良き先輩でもありアドバイザーでもあります。

そして、勝頼の時代に入ると世紀の一戦「長篠の戦い」に挑みますが…勝頼の無茶に付き合わされて無念の撃沈。

かつて川中島の合戦で信玄が信春に意見を求めたように、勝頼も信春に教えを請いたなら歴史の流れも変わっていたかも知れません。

 

おまけ

武田VS今川の戦で…

今川の城を落とした時、城内のお宝をかっぱらって行こうとする信玄に信春は言いました。

「そういう事は『武田はがめつい奴だ』と思われるからやめて下さいね」と。

これを聞いた信玄は

「いやぁ、お恥ずかしい…」とバツが悪そうに、信春の忠告に従いました。

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