源平藤橘(げんぺいとうきつ)とは、奈良時代や平安時代から権威を振るった四つの姓。
源氏、平氏、藤原氏、橘氏の事を言います。
昔の人は血筋とか家柄を非常に重視していました。
戦国大名も自分の家系を「ウチは源氏だから」とか「先祖は藤原」なんて事を誇りにしてたようです。
今回は、源平藤橘と戦国大名についてのお話です。
めっちゃ簡単ですよ~。
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源平藤橘って何?
源氏、平氏、藤原氏、橘氏は日本を代表するセレブ様の家系。(昔の話ですが…)
奈良時代から平安時代にかけて、もの凄く栄えた貴族のお家柄です。
名家って昔からいくつもありましたが、中でも勝ち組としてその後も長く血脈を残したのが「源平藤橘」でした。
他に菅原氏や大江氏、在原氏、古くは曽我氏、物部氏、大伴氏なんてのも名家です。
(歴史の教科書に出て来たヤツ…)
でも途中で消滅したり、パワー的に対抗出来ないので…やっぱ「源平藤橘」なんですね。
とは言うものの…源平藤橘のうち「橘」だけは、ちょっと弱いかな?
奈良時代までは調子が良かったのですが、平安時代以降は尻つぼみ状態。
一応はかつての名家であったので、頭数を揃えるために入れてもらった様なものですね。
他のヤツよりはマシだろう、と言う事で…。
昔の武家や公家では、家柄を重視する風潮がありました。
そこで「自分ちは~系の家系」だと言いたいものですから、みんな必死になって繋がりを探したり、こじつけたりして名家を気取っていました。
家系だの末裔だのそんな古い話なんか、どーでもいい様な気はしますが…昔の人はそういう事にこだわったんですね。
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藤原氏
源平藤橘の中で、一番古い家系が藤原氏です。
その源流は、大化の改新(645年、虫五匹…)にまで遡ります。
ここで蘇我入鹿をやっつけた中臣鎌足。
この人が、後に天皇から藤原の姓をもらったのが藤原のはじまりです。
戦国時代になれば、そんなの遠い昔の話でどうでも良い気がしますが…
一応「藤原系」的な大名も存続してます。
例えば蒲生氏、大友氏、伊達氏、斉藤氏、井伊氏、上杉氏などなど他多数。
一応どころじゃないですね、いっぱいいました!
これらの大名は、平安時代以降地方各地に散らばった藤原氏の流れを汲んでいます。
また、同じ藤原系だからって仲が良いわけじゃないんです。
蒲生氏郷と伊達政宗は、火花がバチバチでしたから。
源氏
源氏は、清和天皇の流れを汲む氏族。
藤原氏より新しめの家系で、平安時代からのスタートですね。
戦国大名は、源氏系がすっごく多い。
そもそも室町幕府の足利氏が源氏系なので、どうしてもそっちの方にスポットが当たります。
細川氏、今川氏、斯波氏、武田氏、佐竹氏、尼子氏、南部氏、最上氏、三好氏…。
ほじくり出せばもっと沢山います。
みんな源氏系の遠い親戚なんですが、戦となれば容赦なく戦います。
戦国時代ですからね。
それはそれ、これはこれ。
平氏
平氏は、桓武天皇の子孫が「平」の姓をもらって引き継いでいる氏族。
平安時代からのスタートしていて、源氏よりも若干早く始まっています。
源氏と平氏は平安時代に派手に戦って、一連の戦いは「源平合戦」として知られています。
で、結局は平氏が敗れて(壇ノ浦の戦い、1185年)鎌倉幕府が設立されました。
平氏はここで一旦滅亡しますが、血脈はその後も受け継がれ、各地に根付きます。
戦国大名で言うと織田氏、葛西氏、相馬氏、徳川氏、北条氏、石田氏、上杉氏(長尾)…。
徳川家康は元々平氏の人なんですが、征夷大将軍になりたくて後に源氏に変更!
織田信長は本当は藤原系なんですが、途中で平氏に鞍替え!
「源氏(足利)の次は平氏の時代だっ」とばかりに、本姓を変えてしまったのです。
いやぁ、なんとも…姓なんてそんなのもかよ…
橘氏
橘氏は「橘諸兄(たちばなもろえ)」を元祖とする氏族。
橘諸兄は皇族家系の人ですね。
奈良時代から続く家系なんで、藤原氏と同じくらい古いです。
歴史は古いし、血筋も高貴。
しかし、鎌倉時代になるとどんどん衰退して歴史の表舞台から消え去りました。
一応、戦国時代までは生き延びていますが「源平藤」みたいな活躍はしていません。
ほとんど、いないのと同じです。
だから、橘系の戦国大名っていないんですね。
ただ「げんぺーとー」で終わってしまうとイマイチ締まりがないので、最後をきちっと納めるためにも「橘」は必要な存在なのでした…。
その他の名家
戦国武将の名家って源平藤橘だけではありません。
そんなに沢山はいませんが、面白いところを拾ってみましょう。
田村氏
陸奥国の田村氏。(陸奥国→東北の東側)
ここの一族は、坂上田村麻呂の末裔とされています。
いいじゃないですか~元祖征夷大将軍ですよ、カッコイイ!
最後は、秀吉に取り潰されてしまいますが…。
長宗我部氏
四国の英雄、長宗我部氏。
長宗我部の祖先は秦氏だと言われています。
シビレますね~。
いつの時代からやって来たんだよ!古墳時代かっ?って言いたくなりますよね。
貴重な氏族だから大事にしたいんですが、これも秀吉によってぶっ潰されました。
阿蘇氏
阿蘇神社の阿蘇氏。
阿蘇氏の先祖を辿っていくと、なんと!神武天皇に辿り着きます。
もう、古いのなんのって…縄文時代ですからね。
そんな阿蘇氏も、戦国時代には戦国大名をやっていました。
ただ、戦が弱くて島津に喰われちゃましたが…。
(阿蘇神社は今でも続いています)
宇喜多氏
宇喜多氏の祖先は、百済渡来人の児島高徳と言われています。
おお~、こちらは「百済」と来ましたよ!
ロマンが広がりますね~。
専門家の間では百済説はまだ確実ではない、という意見もありますが。
(新羅説もある謎の武将)
でも、それならいっその事ハッキリさせないほうが良ろしい、夢が壊れるといけないから。
宇喜多と言えば、宇喜多秀家ですよね。
秀家は関ヶ原の戦いに敗れ、八丈島に流されますが…
流されたら流されたで、宇喜多は八丈島の名族として栄えました。