海道一の弓取り、と呼ばれた今川義元

ところで、「海道一」って何のこと?

今川義元ってどんな人?

 

信長に一撃でやられて弱っちい感じがしますが…本当はどんな人なんでしょう?

 

「海道一の弓取り」どういう意味?

 

「海道」とは東海道のことです。

「弓取り」とは武士を意味した言葉。

 

つまり、海道一の弓取りとは「東海道で一番の武将」すなわち今川義元のことを指します。

 

ただ、これってちょっと分かりずらいですね。

「甲斐の虎」とか「越後の龍」とかならイメージしやすいんですが…。

 

弓取りって言われても、歴史マニアでもないと一瞬とまどいます。

 

僕は子供の頃「弓取り」と聞いてビューって、飛んで来た弓を素手で取るのかなぁ?なんて想像してましたが、、、

そうじゃなかった (^_^;) 

 

弓を扱う人 = 武将、と言う意味だったんですね。

(また、義元が弓の達人という意味でもないです…)

 

そして、東海道がある地域で一番の存在だと言うこと。

これには異存ないです。

 

今川は、東海道の要所に思いっきり陣取っていますからね。

間違いないですね。

 

ところで、「弓取り」という言葉には「めっちゃ強い武将」と言う意味も込められています。

(え?お歯黒塗って蹴鞠をやる義元がめっちゃ強?)

 

それにはチョット違和感を感じますが、本当のところはどうなんでしょう?

 

 

今川義元は弱っちい武将?

 

義元の武功って言うと、、、何でしょう?

…イマイチ見当たりません ( ;∀;)

 

無敵の連戦連勝とか、奇襲を仕掛けて大逆転したとか、単騎で的中を突破したとか、そういう派手な活躍って見つからないんです。

じゃあ、やっぱり弱いんじゃない?

 

肥満で、馬に乗れなくて、輿に乗って戦場にやってくる…。

(本当は多少の乗馬ぐらいは出来るらしい)

 

ん~、確かに義元にはそういう所があります。

少なくとも、アスリート系の武将じゃないですね。

 

でも、義元クラスの武将になると自分が戦場で最前列に出るよりも後方で上手く指揮を執ったり、戦う前に段取りを決めるのが仕事。

 

だから、別にデブもいいんです。

今川家として勝てばいいんです。

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輿に乗ってようが、お歯黒してようが…。

 

そういう意味では、武田北条上杉と互して争ってきた義元は決して弱くはない。

(京都の人から見れば、関東は虎や狼の巣窟みたいな所です)

 

しかも、今川家って将軍家の分家のような家柄なので周囲の大名たちのも一目置いているワケです。

義元本人は、勇猛系イケイケ武将ではなく

智謀で戦うタイプですね。

 

だから、パッと見の印象は怖くないですけど

隙あらば襲ってくるし、ヘタに攻めたら逆に痛い目に遭わされます。

 

乗馬は下手くそでも、回りの大名からしたら驚異的な存在でした。

 

 

桶狭間ではまさかの…

 

そんな「海道一の弓取り」義元でしたが、桶狭間の戦いでは、信長の奇襲作戦に敗れます。

 

巨大勢力である今川が、尾張の小国に負けちゃった…。

その印象が強すぎて、今川義元は「ヘタレ」みたいに思われがちですね。

 

でも、桶狭間の戦いにおいては信長はラッキーと無鉄砲の相乗効果で勝ったようなものです。

 

あんなミラクル戦法で攻撃してきたら、誰だって負けちゃいますよ。

 

信長隊は雨に紛れて今川軍に接近し、、さあ、攻撃だって時には都合よく雨が上がって鉄砲使用OKって、、なんじゃ、そりゃ?

神様、応援し過ぎですよ!

(実際に信長は決戦前に神社にお参りしてますが…)

 

逆に言うと、そこまでしなきゃ義元は倒せない強敵でした。

普通に考えれば、当時の義元は信長なんかより何倍も強いんです。

 

でも、まぁ負けは負け。

そして、この一戦が義元のイメージを決定的に変えてしまいました。

 

ご本人も相当口惜しいでしょうね。

 

ちなみに、信長は桶狭間の後は奇襲作戦を使っていません。

玉砕覚悟で挑んだ一戦でしたから。

 

 

まとめ

東海道で一番強い武将であった今川義元。

その異名は「海道一の弓取り」。

しかし、桶狭間の戦いで格下の織田信長に敗れ「へなちょこ武将」のイメージが定着していまいます。

本当は武田や北条のライバルと言える武将だったのですけどね…。

 

 

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