賤ケ岳の戦いで敗れ、この世を去った柴田勝家。
これ以降、戦国時代は秀吉や家康を中心に回っていきますが…
武将としてのカッコよさは勝家のほうが上。
どこまでも男っぽくて、大将の鏡って感じ。
そこのところは、当時の人々も機微に感じていたようです。
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勝ち負けより大事な男の生き様
柴田勝家は織田家の家臣で、秀吉のライバル的な存在。
世間的には秀吉の方が出世して、勝家は負けてオシマイ…みたいな感じがしますね。
もちろん勝つに越したこと無いんですが、最後まで果敢に戦い立派に負けていく、という生き様もあるんです。
勝家の志を継いだ佐久間盛政は、賤ヶ岳の戦いで敗れた後、罪人として処刑される事になりました。
しかし処刑当日、京都の街は高潔な英雄を見送る為に大勢の人で埋め尽くされます。
戦に勝った武将でも、これほど多くの人が命を惜しんでくれるでしょうか?
ここまで来ると、勝ち負けは二の次のような気がします。
勝家の人生は、正にそのお手本と言えるでしょう。
盛政はそんな勝家に最後まで従いました。
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信長の敵だった勝家
柴田勝家は、最初は信長の敵でありました。
元々、勝家は信長の弟「信行」に仕えていたのです。
当時、織田家では信長と信行の兄弟で家督を争っていました。
兄貴の信長と戦して、負けて、仲直りして、また戦して…みたいな事繰り返したんです。
すると勝家は、だんだん弟の信行の事が信用出来なくなっていきます。
「信長さんは逆らっても許してくれているんだから、心を入れ替えて従えばいいのに。それが嫌なら、なんで最後まで戦わないんだろう。ウチの大将(信行)は侍じゃないな」
という具合で。
その後、信行はまた信長に逆らって負けたので、柴田勝家は兄貴の信長に仕えるようになります。(※信長に負けた信行の遺児「信澄」は勝家が養育しています)
でも、勝家はもともと敵方の武将なので…なかなか信用してもらえず、大きな仕事では使ってもらえません。
そんな日々が、10年ぐらい続きます。
(よく我慢しましたね)
しかし、そのうちに織田家もどんどん大きくなって人手が不足してきて…やっと勝家にも、出番が回ってくるようになりました。
それで、勝家にも戦を任せると…いい仕事するんです。
先鋒でも殿でも、何でもできちゃう。
すると、信長も勝家を見直します。
「柴田さんて、マジメで能力高いなぁ。ちょっと不愛想だけど本当はいい人かも…」
と、信頼するようになりました。
そして、徐々に戦に参加する回数も増え、武功をバンバン重ねていきます。
(信長の上洛作戦~浅井・朝倉攻め)
やがて、勝家は北陸方面に49万石の所領を任されるほどの重要家臣となり、織田家には無くてはならない存在になりました。(織田四天王ですからね)
ちなみに、勝家は信長と茶道友達になって戦功のボーナスに国宝級の茶碗とかお窯をもらっています。(青井戸茶碗「柴田」、姥口の釜など)
信頼の証です。
不器用、実直、無骨
勝家って秀吉みたいに要領の良い人じゃないし、明智光秀にたいなスマートな知性派でもない。
それよりは「肚の据わった親分さん」って感じ。
手の込んだ根回しとか、軽いおべんちゃらで人のご機嫌を取ったりしません。
信長にさえ、間違った所があればきちんと指摘します。(ハラハラしますね)
でも、そこが勝家のいいところ。
これぞ、侍。男の中の男。
戦場で命がけで戦っている兵士やその家族にとって、一番の頼りって大将がでーんと構えていることだと思います。
大将がフニャフニャしてたら命削って戦うなんて、バカバカしくて出来ませんよ。
大将たるもの、これが大事です。
人間的にカッコ悪い人に従いていきたい人なんていませんから。
無愛想でも信頼出来る人がいいんです。
勝家はまさに、そんな武将でした。
最期の勝家
勝家は、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ最期を迎えます。
その時、北ノ庄城に追い込まれた勝家は言いました。
「逃げれるやつは皆、今のうちに逃げろ。俺は大将だからここで腹を切るけど、他の者は無駄に死んじゃダメだよ」
しかし…
「はい、そうですね!」って逃げていく人は少なかったそうです。
別に逃げてもいいんです。
戦の最中でも、裏切って離反して行く人は他にもいましたし(前田利家とか)、生き延びればまた、別の人生が拓けて来ます。
ただ、最後まで残っていた人達はそうはしませんでした。
たとえ、負けて命を失ったとしても
勝家と一緒にいようとした人が、少なからずいたのです。
これも、一つの武将の名誉。
そんな勝家に、共感した人達が最期の瞬間を共にしました。
鬼柴田
宣教師ルイスフロイスは勝家の事を「日本一勇猛な武将」と称しています。
(ルイスは日本マニアの宣教師。ジャーナリストみたいな事もしてました)
日本には、勇猛な武将は他にも他にもいたと思います。
でも、勝家が一番らしい。
勇猛と蛮勇は違います。
勇猛と無鉄砲はもっと違う。
強けりゃ勇猛ってワケでも無い。
(蒲生氏郷とか佐久間盛政なんかも相当強かったと思います)
まぁ、べつに一番にこだわらなくてもいいんですが…勝家には勇猛とか、果敢とか、鬼っていう言葉が、自然と似合うんでしょうね。
外国人の目から見ても「どえらいオッサン」に見えたんですね、きっと。
負けた鬼武将
そんな勝家でも、負けるときは負けるんです。
賤ヶ岳の戦い(1583年)ではやられてますよね、秀吉に。
この戦で滅亡してますから。
あと、有名なのは手取川の戦い(1577年)。
上杉謙信にボッコボコにされています。
(でも、あの時は雨に降られて鉄砲が撃てなかった…)
さすがの鬼武将も、軍神には敵わなかったようです。
おまけ
強い敵将を倒して「これは、あんたが討ち取ったんだよ!」
と怒鳴りながら、二人で手柄を譲り合っていたのです。
(笑えますね…)
それを見た勝家は「要らないじゃ、オレ貰っていくぜ」
と敵の首級を、横からかっさらっていきます。
(唖然とする利家と成政)
そして後日、二人は信長に呼び出され、首級をとった褒美をもらいます。
どうやら、勝家が事の次第を信長に報告したらしい…。
戦の褒美は、ちゃんと二人分用意されていました。
(信長も粋ですね)